証
- 2019/03/26
- 22:22
1人で密室での仕事中、ふとビルの外、青い空が目に入りました。
窓は開きません。
いわゆるフィックス窓です。
「外は気持ち良いだろうなぁ。窓開けばいいのに。」
そう思った途端、なぜか母を想ってしまって涙。
しばらく空を見つめて、涙を引っ込めようと努力しましたが、
考えが悪い方へ引き連られて最後にはしゃくり上げながら滂沱の涙。
結論はもう出ているのです。
「母さんは死んでしまった。時は戻らない。明るい方を向いて楽しく生きて行くしかないんだ。」
それはもう、絶対絶対そうなのです。
それなのに、癌が発覚してからの自分の過ちや、後悔、懺悔。
何度も何度も繰り返した同じ思考を馬鹿みたいにまた繰り返して。
結論は変わらないのに。
私を憂鬱にさせるのは、兄と姉の気持ちが私とは全く違うことです。
兄と姉にとっても結論は私と同じです。
でも、そこへ行き着くまでの過程が違うのです。
兄の場合。
「泣くなよ。泣いたってババは帰って来ない。楽しく生きて行こうぜ!」
葬式の後、正月に1度来て以来、電話さえありません。
姉の場合。
「よく泣くわねぇ。私だって悲しいし、昨日もババのこと考えたよ。でも、泣いたって仕方ないじゃない。明るく生きて行く方がババだって喜ぶよ!」
死後1年経たずに姉はディズニーランドへ家族旅行に行きました。
兄と姉の方が正しいのです。
生きている人間が大事。
哀しみを抱えていても日常を明るく楽しく生きる。
分かっているのです。
私一人が同じ場所に立ち止まったまま、後ろばかり見ているのです。
相続。
癌宣告の直後、それが母の一番の心配事でした。
私は全て放棄したく、母にそれを言いましたが、母はうん、とは言ってくれませんでした。
「私は要らない。子供いないし、姉にあげて。」
「姉は嫁に行ったんだから。姉に少しお金を渡すから、死んだ後に残ったお金は鹿子が貰いなさい。どれだけ生きられるか分からないから残らないかもしれないけど、、、遺言書くから。土地は売って。兄には何も渡さない。」
兄へ、という選択肢は私にもありませんでしたが、姉へ、という気持ちは最後の最後まで消せませんでした。
それでも母は「何があっても鹿子に」という気持ちを変えませんでした。
そして、最終的にいくらのお金が残るのかは、私にしか教えませんでした。
太陽に少し雲がかかって、日差しが緩みました。
「母さん。なんで私にってこだわったか、今なら分かるよ。母親だもんね。私の性格、私以上に知ってるよね。母さんが死んだ後、私が誰よりも悲しむこと、立ち直れないこと、墓守り山守りが私の肩にのしかかること、モモのこと、1人になる私の行く末。だから、どうしても私に貰って欲しかったんだね。」
愛されていた。
そういうことです。
今更のように母の想いに深く触れて、涙が止まらなくなりました。
馬鹿だな、私は本当に馬鹿だ。
なんで、あの時強い抗がん剤を勧めなかったんだろう。
私が言えば、私だったら、1度くらい試してくれたかもしれないのに。
いや、試したところで母さんを苦しめただけかもしれない。
あぁ、せめて手術をしなければ、、、
どうしてあの時、無理してでも休みを取らなかったんだろう、、、
堂々巡り。
結論は同じ。
もう母は死んでしまったのだから。
これを書きながらやっぱり泣いています。
どうしようもありません。
明日も仕事。
早く寝ます。
おやすみなさい。
(*・ω・)b
aryomaさん、きらきら星さん、まさこさん、H.Aさん
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窓は開きません。
いわゆるフィックス窓です。
「外は気持ち良いだろうなぁ。窓開けばいいのに。」
そう思った途端、なぜか母を想ってしまって涙。
しばらく空を見つめて、涙を引っ込めようと努力しましたが、
考えが悪い方へ引き連られて最後にはしゃくり上げながら滂沱の涙。
結論はもう出ているのです。
「母さんは死んでしまった。時は戻らない。明るい方を向いて楽しく生きて行くしかないんだ。」
それはもう、絶対絶対そうなのです。
それなのに、癌が発覚してからの自分の過ちや、後悔、懺悔。
何度も何度も繰り返した同じ思考を馬鹿みたいにまた繰り返して。
結論は変わらないのに。
私を憂鬱にさせるのは、兄と姉の気持ちが私とは全く違うことです。
兄と姉にとっても結論は私と同じです。
でも、そこへ行き着くまでの過程が違うのです。
兄の場合。
「泣くなよ。泣いたってババは帰って来ない。楽しく生きて行こうぜ!」
葬式の後、正月に1度来て以来、電話さえありません。
姉の場合。
「よく泣くわねぇ。私だって悲しいし、昨日もババのこと考えたよ。でも、泣いたって仕方ないじゃない。明るく生きて行く方がババだって喜ぶよ!」
死後1年経たずに姉はディズニーランドへ家族旅行に行きました。
兄と姉の方が正しいのです。
生きている人間が大事。
哀しみを抱えていても日常を明るく楽しく生きる。
分かっているのです。
私一人が同じ場所に立ち止まったまま、後ろばかり見ているのです。
相続。
癌宣告の直後、それが母の一番の心配事でした。
私は全て放棄したく、母にそれを言いましたが、母はうん、とは言ってくれませんでした。
「私は要らない。子供いないし、姉にあげて。」
「姉は嫁に行ったんだから。姉に少しお金を渡すから、死んだ後に残ったお金は鹿子が貰いなさい。どれだけ生きられるか分からないから残らないかもしれないけど、、、遺言書くから。土地は売って。兄には何も渡さない。」
兄へ、という選択肢は私にもありませんでしたが、姉へ、という気持ちは最後の最後まで消せませんでした。
それでも母は「何があっても鹿子に」という気持ちを変えませんでした。
そして、最終的にいくらのお金が残るのかは、私にしか教えませんでした。
太陽に少し雲がかかって、日差しが緩みました。
「母さん。なんで私にってこだわったか、今なら分かるよ。母親だもんね。私の性格、私以上に知ってるよね。母さんが死んだ後、私が誰よりも悲しむこと、立ち直れないこと、墓守り山守りが私の肩にのしかかること、モモのこと、1人になる私の行く末。だから、どうしても私に貰って欲しかったんだね。」
愛されていた。
そういうことです。
今更のように母の想いに深く触れて、涙が止まらなくなりました。
馬鹿だな、私は本当に馬鹿だ。
なんで、あの時強い抗がん剤を勧めなかったんだろう。
私が言えば、私だったら、1度くらい試してくれたかもしれないのに。
いや、試したところで母さんを苦しめただけかもしれない。
あぁ、せめて手術をしなければ、、、
どうしてあの時、無理してでも休みを取らなかったんだろう、、、
堂々巡り。
結論は同じ。
もう母は死んでしまったのだから。
これを書きながらやっぱり泣いています。
どうしようもありません。
明日も仕事。
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おやすみなさい。
(*・ω・)b
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