深イイ話かもしれません―トラウマからの解放―
- 2018/10/02
- 22:22
職場のロッカーが変更になるらしいので、たまった私物を少しずつ持ち帰っています。
「ユミちゃん、あのね、これ、、、誰からだと思う?」
私が手のひらに載せたものは、マクドナルドのギフトカードが入った赤い小さな紙封筒。
3000円分です。
そして『Happy birthday Shikako』と書いてある白いメモ用紙をユミちゃんに見せました。
「、、、たぶん、森中さんだと思う。私もこれ、もらったことある。」
「うん、私もそう思う。5月の私の誕生日に、ロッカーに入ってたの。すぐには、分からなかったんだけど、この字、森中さんだよね。」
「、、、もう10月だよ。」
「うん。ありがとうを言おうって何度も思ったんだけど、でも、森中さん、お礼とか求めてないから、、、
たぶん、私が独りだから、、、だから気にかけてくれたんだと思う。
ありがとうって言ったら、私、絶対泣くと思うから言えなくて。」
そうユミちゃんに言いながら涙腺が崩壊し、泣いてしまいました。
「鹿子さん、涙が、、、」
「ごめんね。ユミちゃんに話すだけでコレだからさ。森中さんにお礼言ったら泣き崩れてしまう。
いつか、ありがとうって言おうと思ってるけど、人間いつ死ぬか分からないからさ、もし私が死んじゃったら、代わりにお礼言ってほしいの。分かってたよって。お願いね。」
「え?鹿子さん死ぬの?」
「死ぬわけないじゃん!死んでほしいの?(`ω´)」
「わーい、いつもの鹿子さんだ^^」
「アハハ。涙引っ込んだわ!」
ブログには書きませんでしたが、5月に41歳になりました。
昔から、おめでとうと言われることが苦手なのです。
幼い頃、貧乏だった我が家では、誕生日を祝うという習慣がありませんでした。
「母さん、私、今日誕生日だよ。」と母に言うと、
「生きてれば年取るわよ!」と冷たく言われました。
それ以来、自分の誕生日を自ら口にするのはやめました。
分かっています。
お金がなかった。
気持ちに余裕がなかった。
生活するだけで精一杯だった。
大人になってから、お金と心に余裕ができた母は私の誕生日を祝ってくれるようになりました。
しかし、自分の誕生日を抹殺して生きてきた私は、誕生日だからと心を弾ませることは、もはやできませんでした。
「何がめでたいんだか。」と冷めた気持ちになるのです。
これはとても悲しいことです。
「おめでとう。」と誰に言われても心に響かないのです。
若い頃、大好きな彼氏に言われても特別な感情は湧かず、喜んでいるフリをしました。
だから、職場では必ず有休を取ります。
誰かに「おめでとう」と言われて、喜んだフリをする自分を醜いと思うからです。
そして、今年の誕生日の翌日。
ロッカーにあった赤い封筒。
Happy birthdayの文字。
人の優しさが沁みて、のどの奥が苦しくなりました。
そして、母を想いました。
誕生日なんてどうでもいい、と思って生きてきましたが、
こうして誰かと心を通わせられる、誕生日はやっぱり特別な日なんですね。
今さら知りました。
来年は、皆さんに「おめでとう」を強要するかもしれません(笑)
おやすみなさい
(*・ω・)b
ちぃさん、まさこさん、H.Aさん
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「ユミちゃん、あのね、これ、、、誰からだと思う?」
私が手のひらに載せたものは、マクドナルドのギフトカードが入った赤い小さな紙封筒。
3000円分です。
そして『Happy birthday Shikako』と書いてある白いメモ用紙をユミちゃんに見せました。
「、、、たぶん、森中さんだと思う。私もこれ、もらったことある。」
「うん、私もそう思う。5月の私の誕生日に、ロッカーに入ってたの。すぐには、分からなかったんだけど、この字、森中さんだよね。」
「、、、もう10月だよ。」
「うん。ありがとうを言おうって何度も思ったんだけど、でも、森中さん、お礼とか求めてないから、、、
たぶん、私が独りだから、、、だから気にかけてくれたんだと思う。
ありがとうって言ったら、私、絶対泣くと思うから言えなくて。」
そうユミちゃんに言いながら涙腺が崩壊し、泣いてしまいました。
「鹿子さん、涙が、、、」
「ごめんね。ユミちゃんに話すだけでコレだからさ。森中さんにお礼言ったら泣き崩れてしまう。
いつか、ありがとうって言おうと思ってるけど、人間いつ死ぬか分からないからさ、もし私が死んじゃったら、代わりにお礼言ってほしいの。分かってたよって。お願いね。」
「え?鹿子さん死ぬの?」
「死ぬわけないじゃん!死んでほしいの?(`ω´)」
「わーい、いつもの鹿子さんだ^^」
「アハハ。涙引っ込んだわ!」
ブログには書きませんでしたが、5月に41歳になりました。
昔から、おめでとうと言われることが苦手なのです。
幼い頃、貧乏だった我が家では、誕生日を祝うという習慣がありませんでした。
「母さん、私、今日誕生日だよ。」と母に言うと、
「生きてれば年取るわよ!」と冷たく言われました。
それ以来、自分の誕生日を自ら口にするのはやめました。
分かっています。
お金がなかった。
気持ちに余裕がなかった。
生活するだけで精一杯だった。
大人になってから、お金と心に余裕ができた母は私の誕生日を祝ってくれるようになりました。
しかし、自分の誕生日を抹殺して生きてきた私は、誕生日だからと心を弾ませることは、もはやできませんでした。
「何がめでたいんだか。」と冷めた気持ちになるのです。
これはとても悲しいことです。
「おめでとう。」と誰に言われても心に響かないのです。
若い頃、大好きな彼氏に言われても特別な感情は湧かず、喜んでいるフリをしました。
だから、職場では必ず有休を取ります。
誰かに「おめでとう」と言われて、喜んだフリをする自分を醜いと思うからです。
そして、今年の誕生日の翌日。
ロッカーにあった赤い封筒。
Happy birthdayの文字。
人の優しさが沁みて、のどの奥が苦しくなりました。
そして、母を想いました。
誕生日なんてどうでもいい、と思って生きてきましたが、
こうして誰かと心を通わせられる、誕生日はやっぱり特別な日なんですね。
今さら知りました。
来年は、皆さんに「おめでとう」を強要するかもしれません(笑)
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