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運がいいとか悪いとか

七時にアラームで起床。
疲れのせいか、珍しく自然には目が覚めませんでした。

10時に到着。

きっともう会えないので、母の生まれた時のことを聞きました。

「母の母、絹代さんは何歳で母を産んだのですか?」
「20か21だったかな。産んで3ヶ月で亡くなったんだ。」
「産後のひだちが悪かったのですか?」
「たぶん、そうだと思う。食糧事情も良くなかったしね。」
「絹代さんに兄弟は?」
「いたよ。お姉さんも弟さんもいた。」
「じゃ、まだ生きている可能性ありますね。」
「あるね。弟さんは僕より若かったからね。」

絹代さんの夫、つまり私の祖父は、絹代さんの実家でいつまでも母の面倒をみてもらうわけに行かず、自分の実家に母をつれて行き、母親が母を育てました。

「田舎だろう。米だけはあったから、重湯を飲ませて育てたんだ。」
「生後3ヶ月で、よく育ちましたよね。」
「みんなで大切に大切にしたんだよ。」
「いつもその田舎の話ばかりしていました。私の故郷はあそこだって。」

「再婚する時に行きたくないって言ってね。付いていかなくていいって言ったんだけど、再婚相手が、結婚したんだから面倒みるって。」
「世間体があったんでしょうね。」
「嫌がるのを連れて行ったんだから可愛がるのかと思っていたのに、いじめてね、、、」
「自分の子供が可愛かったのでしょう。」

「運のない子だ。俺より先に亡くなって、、、」
「いや、絹代さんと一緒に死んでいてもおかしくなかったのに、生きたのですから、運はあったのかもしれません。」
「あのまま俺のとこにいたら、また違う人生だったかも知れない。」

母の故郷には2度ほど行ったことがあります。
本当に嬉しそうにはしゃいでいた母を思い出します。

「あぁ、懐かしい。ここがいい。ここに帰りたいなぁ。」
そう言って線路の側を私を連れて歩きました。

あの頃の私は幼くて、母の言葉の意味は何も分かりませんでした。

今なら分かります。
母が心から安らげたのは、生後3ヶ月から父親が再婚するまでの数年しかなかったのです。
遠く、簡単に帰れる距離ではなかったから、
その数年を過ごした故郷は、母にとって光輝く場所だったのです。

秋、すすきが揺れる線路道。

母さん、私もあの場所へ帰りたいよ。
二人でもう一度、歩きたいよね。

いつか出掛けられるようになったら、あの景色を見に行きたいな、と思います。
風に揺れるすすきを。

今はモモと夏を越えるのが精一杯なので、もう少し余裕ができたら。
絹代さんの兄弟も探してみるつもりです。

おやすみなさい

(^o^)v
つかさん、まさこさん、H.Aさん

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