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母はガンだと宣告されてから、こんなことを度々口にしていました。

「死ぬ時ってどんなだろう。」
「苦しむのかな。」
「ポックリ逝きたかった。」

そんな会話をした頃は、まだ時間の余裕がある、と思っていたので、
「父さんの時思い出して。もう麻薬でわけわからないから大丈夫だよ!」
と私は冗談ぽく返しました。

「あなたはもうすぐ死ぬのだ。
 治療方法のないすい臓がんだ。
 足の早いすい臓だ。」

近い未来の死を宣告されたのです。
治療はできない、と言われたのですから、
自分の死に際について考えるのは当然です。

死を提示されれば「考えても仕方ない。」と分かっていても自分の最期の時について考えるでしょう。

若い場合は別として、ある程度の年齢になれば、
自分が何かを思う間もなくポックリ逝きたいと願うのは普通です。

こんなに早く逝ってしまうなら、せめてポックリ逝かせてあげたかったな、と思います。
死ぬことなんか考えもしない間に。

意味のなかった抗がん剤と手術。
延命どころか命を縮めてしまった。

それは結果論だから今さら何を言っても仕方ないのだけれど。

苦しみたくない、とあんなに言っていたのに、苦しませてしまった。
私のせいではないけれど、それは分かっているけれど、やはり自分の判断を悔やみます。

こんな大きな後悔、2度としたくありません。
もう、失敗する機会もありませんが。

モモがご飯を食べてくれなくて、今日はネガティブです。
二人で早く寝ます。

おやすみなさい

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(^o^)v
koroさん 二人とも寂しがりやだったので、一人で旅立つのは嫌だったのだと思います。一緒に暮らして心配ばかりかけた私に、最期くらいちゃんと見てろって言いたかったのかな。
まさこさん それも何かの巡り合わせなのでしょう。おっしゃる通り最期の瞬間にいるかいないかは大した問題ではないと思います。本当にタイミングなので。元気な時にたくさん優しさを渡せなかったことが心残りです。
H.Aさん はい、父はとても優しい人でした。こちらが歯がゆくなるほどに人の世話ばかりしていました。自分が誰かの世話になるなんて絶対に許せなかったんでしょう。でも思いを貫いた結果なので今は納得しています。
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