fc2ブログ

記事一覧

冷たい塊

幼い時に母を失った母は、母というものを知らずに育ちました。
祖父は仕事で忙しかったため、祖母の兄弟が面倒をみたそうです。
特に、母がもっちゃん、と呼ぶおじさんが可愛がってくれたそうです。

祖父が再婚し、継母にいじめられた母は、あまりに辛いとき、もっちゃんに電話して、もっちゃんの住む町まで電車に乗って、駅に何度も迎えに来てもらった、と話していました。

私は1度か2度くらいしか会ったことはありませんが、母は事あるごとに、もっちゃん、もっちゃんと言っていました。
がんと分かった時も、一番最初に電話したのはもっちゃんでした。

夏の暑い日、母は姉と一緒にもっちゃんの家まで会いに行きました。車で二時間くらいです。

10月、余命宣告を受けて、何とかもっちゃんに会わせてあげたい、と思った私はもっちゃんに電話をしました。

「おじちゃん、母さん、もうダメって。昨日は歩けたのに今日はもう歩けないの。悪化のスピードが早くてどうしようもない。」
嗚咽が止まりませんでした。
「そうか。寿命だからな。しっかり看てやれよ。」
「母さん、いつもおじちゃんのこと話してたから、、、伝えておこうと思って。今ならまだ意識があるから、、、」
「ありがとな。俺も年だからな。また何かあれば電話してこいよ。」

泣きながら電話を切りました。
もちろん、来て欲しかったのです。
母に会いに来て欲しかった。
でも、結果、断られたわけです。

正直、わけが分からない、と言うか、私は一体、誰に電話をしたのだろう、かと。
私が今話した相手は、母が親代わりと慕う、あのもっちゃんなのだろうか?
明日にも死ぬかも知れない、という話を他人事のように聞く、この人がもっちゃんなのだろうか?
真夏、母が辛い体をおして会いに行ったのは本当にこの人?

まだ元気だった時、母が何かの話の中で言いました。
「もっちゃんも年だから足が悪いのよ。でも、まだまだ元気だから、私がいよいよ危ないってなればここまで来るわよ。息子もいるしね。」

しかし、もっちゃんは来ませんでした。
私は、もっちゃんに電話したことも、来ない、ということも母には言えませんでした。

亡くなった時、電話はしませんでした。
もう、傷付きたくなかったからです。
母は伝えて欲しかっただろうと思うけれど、私には無理でした。
姉に聞きました。「知らせた方がいいのかな?」
「もういいよ。電話したんでしょ。母さんが想うほど、向こうは想ってなかったってことよ。悲しいけどね。香典だけ送られてきても、、、ね、、、」
「うん。」

もっちゃんから年賀状が届きました。
「どんな状態ですか?」とだけ書かれていました。

生きていると思っているのですか?
と書きたい気持ちを抑えて、お世話になりました、と添えて寒中見舞いの宛名を書きました。

寒くて淋しい夜です。

おやすみなさい

押してもらえると更新の励みになります。
にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
にほんブログ村
にほんブログ村 家族ブログへ
にほんブログ村
スポンサーサイト