麻薬に手を染めないで
- 2017/09/29
- 23:59
本日も有給を取らせてもらいました。
家事、銀行回りをして、自分の昼御飯を買って12時に病院へ。
母も食事中だったので一緒に食べました。
背中が何かで締め付けらるように痛い、お腹の張りも治らない、と。
「あのね、術後すぐは言えなかったんだけど、腹水が溜まってたんだって。だから今も溜まって張るんだと思う。私がお願いして黙っていてもらったから看護士さんたちも言えなかったんだよ。」
「そうなんだ、、、どんどん悪くなるんだね。」
「そうだね。でも、腹水は抜いて戻すって方法があるし、ババにやる気があるなら抗がん剤もやれるよ。」
「何でも言われる通りにする。だから早く帰りたい。」
「じゃ、今から看護士さんに腹水のこと話したって言ってくるから。」
ナースステーションをのぞくと友人がいたので話しました。
腹水の処置をお願いしたいこと。
可能なら抗がん剤をもう一度やりたいこと。
本人ができるだけ早い退院を希望していること。
友人から薬の変更を提案されたので、ぜひ変更してほしい、お願いしました。
すぐに先生に伝えてくれたので病室で私も同席のもと母に先生から話がありました。
「麻薬系の薬に変更します。ベースが決まって痛みのコントロールがうまくいくようなら月曜日に退院できます。抗がん剤の件は内科に伝えておきます。」
すぐに薬剤師さんが来てくれて薬の説明を受けて貼りました。
とりあえずどのくらい痛みに効いて、吐き気が出るか、血液状態がどうなるか1日様子をみて、明日口からのレスキューをいれましょう、ということになりました。
「娘さんは、粘着面には決して触らないで下さい。麻薬ですので。」とのことでした。
その後、友人に頼んで病室に来てもらいました。母と一緒に話しました。
「血糖値、気にして食べるの控えるのよ。良くないよね?」
「好きなものを食べていいよー。体力つけるほうが大事。」
「血糖値、だいたい200台なの。抗がん剤打ったら400いくけどね。このくらいならすぐにどうにかなったりしないよね?」
「大丈夫。しっかり食べて。」
「今、少ししか食べられないんだから食べられる時に食べればいいよね?」
「そうそう。血糖値より体力を回復するのが先よ。」
「おはぎとか饅頭とかいいよね?」
「いいねー。しっかり食べて。」
「どう?安心した?食べていいって。彼女の言うことなら信用できるでしょ。」
「分かった。好きなもの食べるようにする。」
「退院したら介護ベッドがいるんじゃない?」
「要らない。」
「でも、布団だと立ち上がるのしんどいと思うよ。」
「いい、まだ大丈夫。」
それでもやっぱり、母にはそろそろ専門の介護が必要だと思ったので、一階のガン支援センターへ一人で行きました。
詳しい病状が分からないと何も言えないので、今の入院している科に資料を渡すようにお願いして下さい、と言われたので、もう一度病室へ。
「今、ガン支援センターに行って来た。やっぱり、早めに動いた方がいいから。私もね、急に言われても動きが取れない時は取れないよ。今からお願いしておけば何かあった時に話が早いと思う。だから、看護士さんに資料回してもらうようにお願いしておくから。」
「ゴメンね、、、よろしくね」と泣かれました。
「少しでも家で過ごせるといいからね。」と言ったら、うなづいていました。
ちょうど看護士さんが来たので資料を回してもらうこと、月曜日にガン支援センターと話ができるように段取りをしてもらいました。
痛い止めが変わり、お腹の張りの原因が分かり、何と言っても退院が見えてきて、帰る時には笑顔でした。
看護士さんに、本人が帰りたがっても、痛みが取れないようなら月曜日の退院は我慢させて下さい、と伝えました。
父は、肝臓がんで亡くなりましたが、最後のきっかけは転倒でした。
一人でトイレに行ってはいけない、ときつく言われていたのに、立ち上がって頭をひどく打って容態が急変して亡くなりました。
それが頭にあるので、無理して帰るのは避けたいと思っています。
帰ってから栗拾い、買い物、散歩、庭の水やり、洗濯、金魚^^;
無事1日が終わりました。
友人には本当に本当に感謝です。
周りの様子から一目置かれているのが分かりました。
ストレスなく話がすんなり通って気持ちが楽になりました。
ありがとう。
また明日。
おやすみなさい。
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家事、銀行回りをして、自分の昼御飯を買って12時に病院へ。
母も食事中だったので一緒に食べました。
背中が何かで締め付けらるように痛い、お腹の張りも治らない、と。
「あのね、術後すぐは言えなかったんだけど、腹水が溜まってたんだって。だから今も溜まって張るんだと思う。私がお願いして黙っていてもらったから看護士さんたちも言えなかったんだよ。」
「そうなんだ、、、どんどん悪くなるんだね。」
「そうだね。でも、腹水は抜いて戻すって方法があるし、ババにやる気があるなら抗がん剤もやれるよ。」
「何でも言われる通りにする。だから早く帰りたい。」
「じゃ、今から看護士さんに腹水のこと話したって言ってくるから。」
ナースステーションをのぞくと友人がいたので話しました。
腹水の処置をお願いしたいこと。
可能なら抗がん剤をもう一度やりたいこと。
本人ができるだけ早い退院を希望していること。
友人から薬の変更を提案されたので、ぜひ変更してほしい、お願いしました。
すぐに先生に伝えてくれたので病室で私も同席のもと母に先生から話がありました。
「麻薬系の薬に変更します。ベースが決まって痛みのコントロールがうまくいくようなら月曜日に退院できます。抗がん剤の件は内科に伝えておきます。」
すぐに薬剤師さんが来てくれて薬の説明を受けて貼りました。
とりあえずどのくらい痛みに効いて、吐き気が出るか、血液状態がどうなるか1日様子をみて、明日口からのレスキューをいれましょう、ということになりました。
「娘さんは、粘着面には決して触らないで下さい。麻薬ですので。」とのことでした。
その後、友人に頼んで病室に来てもらいました。母と一緒に話しました。
「血糖値、気にして食べるの控えるのよ。良くないよね?」
「好きなものを食べていいよー。体力つけるほうが大事。」
「血糖値、だいたい200台なの。抗がん剤打ったら400いくけどね。このくらいならすぐにどうにかなったりしないよね?」
「大丈夫。しっかり食べて。」
「今、少ししか食べられないんだから食べられる時に食べればいいよね?」
「そうそう。血糖値より体力を回復するのが先よ。」
「おはぎとか饅頭とかいいよね?」
「いいねー。しっかり食べて。」
「どう?安心した?食べていいって。彼女の言うことなら信用できるでしょ。」
「分かった。好きなもの食べるようにする。」
「退院したら介護ベッドがいるんじゃない?」
「要らない。」
「でも、布団だと立ち上がるのしんどいと思うよ。」
「いい、まだ大丈夫。」
それでもやっぱり、母にはそろそろ専門の介護が必要だと思ったので、一階のガン支援センターへ一人で行きました。
詳しい病状が分からないと何も言えないので、今の入院している科に資料を渡すようにお願いして下さい、と言われたので、もう一度病室へ。
「今、ガン支援センターに行って来た。やっぱり、早めに動いた方がいいから。私もね、急に言われても動きが取れない時は取れないよ。今からお願いしておけば何かあった時に話が早いと思う。だから、看護士さんに資料回してもらうようにお願いしておくから。」
「ゴメンね、、、よろしくね」と泣かれました。
「少しでも家で過ごせるといいからね。」と言ったら、うなづいていました。
ちょうど看護士さんが来たので資料を回してもらうこと、月曜日にガン支援センターと話ができるように段取りをしてもらいました。
痛い止めが変わり、お腹の張りの原因が分かり、何と言っても退院が見えてきて、帰る時には笑顔でした。
看護士さんに、本人が帰りたがっても、痛みが取れないようなら月曜日の退院は我慢させて下さい、と伝えました。
父は、肝臓がんで亡くなりましたが、最後のきっかけは転倒でした。
一人でトイレに行ってはいけない、ときつく言われていたのに、立ち上がって頭をひどく打って容態が急変して亡くなりました。
それが頭にあるので、無理して帰るのは避けたいと思っています。
帰ってから栗拾い、買い物、散歩、庭の水やり、洗濯、金魚^^;
無事1日が終わりました。
友人には本当に本当に感謝です。
周りの様子から一目置かれているのが分かりました。
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