神様ありがとう
- 2017/09/26
- 23:59
仕事から帰って、犬の散歩、買い物、病院へ。
カーテンを開けると、点滴が外れていました。
「どう?腕が辛いんだって?」
「腫れがだいぶひいた。」
「本当だ。全然違うよ。良かったね。」
「抜糸してドレインもとれたの。」
「すごいねー。楽になったでしょ。」
「あとはうんち。スッキリ出ないのよ、、、腸が働いていないって。」
「そっかー。でも点滴なしになったなら食べないといけないだろうし、食べたら出さないとだもんね。」
「もう、重湯じゃなくて全がゆになった。」
「全部食べた?」
「半分くらい。」
「いいじゃん。一昨日は一口って言ってたから。」
「そう、千代桃に会いたいって人がいるのよ!」
「へ?誰?」
「Hさん。ここの看護士さん。ゆうべ、腕の腫れを処置してくれたの。」
「H!え!今ここの病院なの?外科?ゆうべ?そうなんだ、、、」
なぜだか込み上げるものがあって泣いてしまいました。
「違うの。仲違いしたとかじゃないの。なんで泣けるんだろ。学生時代の友達。びっくりした。」
「分かるよ。彼女、すごく会いたがってたよ。」
「彼女ね、すごく頭良くて、看護士になるのが夢でね、ものすごく勉強して大学病院付属の看護学部に行ったの。卒業してその大学病院で働き始めてその後お互いに忙しくなって疎遠になってしまったんだけど、、、」
「娘、独身って言ったら、私もって。親の面倒も見なきゃいけないって。」
「同じ境遇か(笑)連絡先書いておくから、会ったら渡しておいて。」
「分かった。」
自分でもなぜ涙が出たのかよく分かりません。
驚きと懐かしさと今ここで再会する巡り合わせに感動した気持ちでしょうか。
手術後から1週間母を煩わせていた腕の腫れがひいたことへの安堵感。そしてそれが彼女の処置だったことへの感謝の気持ちがない交ぜになって自分でもよく分かりません。
母と友人は会ったことがないし、私の名字はありふれているので、どうして私の母だと分かったのか、としばらく考えましたが、
たぶん緊急連絡先に書いてある書類に私の名前を見つけたのでしょう。
名字が変わってたらきっと分からなかったと思います。
独身でいいこともあるもんだなぁ(笑)
スタスタ歩いてかなり回復していました。
「もう、いつ退院って言われるか分からないから!次の患者さん待ってるから!」
「いやいや、さすがに今週はないよ。せっかちすぎるよ。術後二週間は入院って言われてるんだから。」
「そっか。」
「また明日ね。」
腸が働いていない、というのがとても気になります。
一旦治ることもなく腸閉塞に向かっていくのでしょうか。
神様、どうかもう少しだけ時間を下さい。
母にもう少しだけ安らぎの時間を与えて下さい。
母と彼の思い出 その3
裏庭の草刈りをしなくてはいけない、でも暑くてできない、と毎日呪文のように言う母。
「僕が何でもやるよ。」
と言うのに、「できるわけないから。」断る母。でも次の日にはまた「草が、、、」(@_@)
「もう!だからやるってば!さ、着替えて!はい、刈って!ここからここまでね!」
アメリカで広い畑をやっている彼にとって、小さな裏庭などたいしたことではありません。
母の期待以上の成果を上げてくれました。
「うわー助かったわー。さんきゅーさんきゅー!」
「I am glad mamasan is happy ne」
「はっぴーはっぴーすまいるすまいる」
だって。
気を良くした彼が次の日から毎日、次はどこだ、ここはどうだ、と刈りまくろうとするのを止めるのが苦痛でした(笑)
「それ、雑草に見えるけど珍しい山野草なんだって。刈ったら大変なことになるよ!」
「(((・・;)」
明日は母の腸がよく働きますように。
おやすみなさい
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カーテンを開けると、点滴が外れていました。
「どう?腕が辛いんだって?」
「腫れがだいぶひいた。」
「本当だ。全然違うよ。良かったね。」
「抜糸してドレインもとれたの。」
「すごいねー。楽になったでしょ。」
「あとはうんち。スッキリ出ないのよ、、、腸が働いていないって。」
「そっかー。でも点滴なしになったなら食べないといけないだろうし、食べたら出さないとだもんね。」
「もう、重湯じゃなくて全がゆになった。」
「全部食べた?」
「半分くらい。」
「いいじゃん。一昨日は一口って言ってたから。」
「そう、千代桃に会いたいって人がいるのよ!」
「へ?誰?」
「Hさん。ここの看護士さん。ゆうべ、腕の腫れを処置してくれたの。」
「H!え!今ここの病院なの?外科?ゆうべ?そうなんだ、、、」
なぜだか込み上げるものがあって泣いてしまいました。
「違うの。仲違いしたとかじゃないの。なんで泣けるんだろ。学生時代の友達。びっくりした。」
「分かるよ。彼女、すごく会いたがってたよ。」
「彼女ね、すごく頭良くて、看護士になるのが夢でね、ものすごく勉強して大学病院付属の看護学部に行ったの。卒業してその大学病院で働き始めてその後お互いに忙しくなって疎遠になってしまったんだけど、、、」
「娘、独身って言ったら、私もって。親の面倒も見なきゃいけないって。」
「同じ境遇か(笑)連絡先書いておくから、会ったら渡しておいて。」
「分かった。」
自分でもなぜ涙が出たのかよく分かりません。
驚きと懐かしさと今ここで再会する巡り合わせに感動した気持ちでしょうか。
手術後から1週間母を煩わせていた腕の腫れがひいたことへの安堵感。そしてそれが彼女の処置だったことへの感謝の気持ちがない交ぜになって自分でもよく分かりません。
母と友人は会ったことがないし、私の名字はありふれているので、どうして私の母だと分かったのか、としばらく考えましたが、
たぶん緊急連絡先に書いてある書類に私の名前を見つけたのでしょう。
名字が変わってたらきっと分からなかったと思います。
独身でいいこともあるもんだなぁ(笑)
スタスタ歩いてかなり回復していました。
「もう、いつ退院って言われるか分からないから!次の患者さん待ってるから!」
「いやいや、さすがに今週はないよ。せっかちすぎるよ。術後二週間は入院って言われてるんだから。」
「そっか。」
「また明日ね。」
腸が働いていない、というのがとても気になります。
一旦治ることもなく腸閉塞に向かっていくのでしょうか。
神様、どうかもう少しだけ時間を下さい。
母にもう少しだけ安らぎの時間を与えて下さい。
母と彼の思い出 その3
裏庭の草刈りをしなくてはいけない、でも暑くてできない、と毎日呪文のように言う母。
「僕が何でもやるよ。」
と言うのに、「できるわけないから。」断る母。でも次の日にはまた「草が、、、」(@_@)
「もう!だからやるってば!さ、着替えて!はい、刈って!ここからここまでね!」
アメリカで広い畑をやっている彼にとって、小さな裏庭などたいしたことではありません。
母の期待以上の成果を上げてくれました。
「うわー助かったわー。さんきゅーさんきゅー!」
「I am glad mamasan is happy ne」
「はっぴーはっぴーすまいるすまいる」
だって。
気を良くした彼が次の日から毎日、次はどこだ、ここはどうだ、と刈りまくろうとするのを止めるのが苦痛でした(笑)
「それ、雑草に見えるけど珍しい山野草なんだって。刈ったら大変なことになるよ!」
「(((・・;)」
明日は母の腸がよく働きますように。
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