陳腐
- 2018/02/18
- 22:22
母を失って、分かったことは「私は母を愛していた。母も私を愛していた。」こんな記事を書いたこともありました。無力その時は本当にそう思いましたし、元気な時はお互いにワガママいっぱいで、もう一生会わなくていい、と思うくらい嫌いな時もありました。母の嫌み、干渉、イライラ、投げつけられるキツイ言葉。「どうせ私なんて老後の介護要員でしょ。」なんてひねて考えていました。ガンが分かって、抗がん剤を始めても、母は基...
クタクタとクタクタ
- 2018/02/17
- 22:22
仕事、頑張りました。サービス業、土日は忙しくてクタクタになります。帰りの運転は苦行、散歩は気合が必要です。でも、12時間も待っていてくれたのですから、座ることはせず、即行きます。「桃ちゃーん!イイ子してたねー!」昨夜、サーモスのシャトルシェフを使って野菜スープを作りました。シャトルシェフ(アフィリエイトじゃないです。)煮込む間、鍋についている時間が惜しくて買いました。今日温め直して食べてみました。野菜...
生き返って嫁を連れてくる
- 2018/02/16
- 22:22
休みでした。庭に出たら、鳩が2羽、ヨチヨチと歩いていました。ゆっくり、のんびり、お尻を振って、私に気付いた後も慌てる様子もなく裏庭へと消えて行きました。なんか、ほっこりしました。そして、夏の終わりに、鳩の死骸を見つけたことを思い出しました。グレー色嫌な感じがして、これが悪い予兆でなければいいけど、と思いました。そして、この元気いっぱいワガママを言っていた母が、手術を境に母でなくなってゆきました。こ...
習慣
- 2018/02/15
- 22:22
夕飯の時は、食べながら雑誌を読みます。そんな行儀の悪いこと、母は、絶対に許しません。今は、とがめる人も、話す相手もいないから、雑誌に目を落とします。本当は、、、目の前に母がいないから。いつも対面に座って、私に「美味しい?」って聞く母がいないから。顔を上げると、母のいないことを毎秒突きつけられるから、下を向いて黙々とただ食べるのです。六脚の椅子がある大きな食卓。ポツンと1人で、適当に作った夕飯を食べ...
「ちなみに私は死別カテゴリーにいるから」
- 2018/02/14
- 22:22
すい臓がんカテゴリーから移動してきて、約3ヶ月。毎日、ここで気持ちを吐き出しつつ、仕事や手続きに追われる忙しい日々でした。最近になってようやく、自分なりの生活ペースが分かってきて、少し気持ちに余裕ができてきました。時間は友達。身を寄せているこの死別カテゴリーのブログ、時間がなくてあまり読めてはいないのですが、紹介文に目を通してみました。「え!?親との死別ブログ、少ないのね、、、」薄々感じてはいまし...
春になったらシリーズ
- 2018/02/13
- 22:22
六畳の父の部屋。その前は祖母の部屋でした。父が亡くなってからは、誰かが泊まる時に使うだけの空き部屋でした。ここに移ろうと考えています。この部屋はトイレと風呂のすぐ側で、都合がいいのです。砂壁なので壁紙を貼らないと使えないので、見積もりをしてもらったら、12万でした。下に板を張るため、通常より高いです。押し入れのふすま張り替え代も含まれています。お願いするつもりなのですが、寒波がずーっと途絶えないので...
終わったら始まる
- 2018/02/12
- 22:22
金土日は勤務で今日は休みでした。サービス業なので土日祝は関係なくシフト制です。朝起きて裏口を開けると一面銀世界でした。休みで助かりました。たぶん、峠は越えられなかったでしょう。戸を閉めた時、つい「母さん!雪すごいよ!」って言葉にしそうになりました。習慣って怖いですね。居間の床に置いてある桃の水が凍っていました。ふすまを開けて「母さん、雪。桃の水凍ってる。この家、外と気温同じだよ!」砂壁、木造の古い...
再婚のススメ
- 2018/02/11
- 22:22
母が「私の息子同然」と言っていた私の従兄は、白血病で奥さんを亡くしています。奥さんはまだ34歳でした。その悲しみは私にははかり知れないものでした。あの日数年後、遠くから車で帰省してくれた従兄。「車、かなり古くない?貧乏はしてないよね?」「奥さんとの思い出があるから、できるだけ長く乗りたいんだ。」何も言えませんでした。さらに数年後、子供二人も思春期を過ぎた頃。「お兄ちゃん、再婚は考えないの?子供も、も...
想像からの決意
- 2018/02/10
- 22:22
母は生に執着しませんでした。悲しみや葛藤、やりきれない思いは普通に抱えていましたが、執着とは程遠いものでした。セカンドオピニオンは、行きたくないと言いました。大きい評判のいい病院への転院も、距離が嫌だと受け入れませんでした。水やサプリメントのようなものも、固く断られました。もちろん、この病気が希望のあるものだったら違ったと思いますが、すい臓がんステージ4b、母は自分らしく生きることを望みました。「も...
イチゴメロンハチミツ
- 2018/02/09
- 22:22
母との最後の会話は何だったろう、と考えながら車を走らせました。母の最後の言葉は覚えています。「楽になりたい。」このあたりの日記に記してあります。魅惑の日アインシュタイン様約束読み返すと、あまり詳しく書いていないのですが、夜中に病院に駆け付けた時、母はものすごい力で暴れていました。エレベーターを降りた瞬間、母の悲鳴がホール中に響き渡っていました。「ぎゃー!」というような悶絶する声。「もう少し、もう少...